第12回 アマミノクロウサギ訴訟などを通じて「自然の権利」普及に取り組む弁護士 籠橋隆明さん
環境問題の解決は「科学と愛」が原点だと信じています。
1957年生まれ。1976年京都大学法学部入学。1995年、奄美の森林にすむアマミノクロウサギなどの動物を保護するために、動物を原告にした「アマミノクロウサギ訴訟」の弁護人を務め、注目を集める。その後、ヤンバル、諫早湾など全国の自然保護訴訟を支援するため「自然の権利基金」を設立し、日本における「自然の権利」確立のために精力的な活動を展開している。現在も、普天間飛行場代替施設建設が沖縄のジュゴンに与える影響をめぐって、米国の自然保護団体と共同で連邦政府を提訴するとともに、国内において環境法律家連盟(JELF)を組織するなど、意欲的な活動を続けている。なお、このような活動が評価され、2004年12月に日本自然保護協会第4回「沼田眞賞」を受賞。日本弁護士連合会の公害対策・環境保全委員会委員。 日本環境法律家連盟(JELF)、「自然の権利」基金の事務局長を務める。事務所の名前は、「環境と正義」の頭文字をとって「 名古屋E&J法律事務所」。
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| 籠橋さんは、開発のために絶滅の危機に瀕したアマミノクロウサギを原告とした裁判の弁護士を務めたことで知られている。動物(自然)が裁判の原告になるというので、大きな反響を呼んだこの訴訟は、「自然の権利」という概念を日本に広めるきっかけにもなった。自然を単に人間が利用する対象として捉えるのではなく、人間にとってなくてはならないものと認識して、自然の権利を認めようとする考え方は、これからの環境問題の解決に大きな役割をはたすものと期待されている。「自然の権利」に出会ったきっかけ、これからの環境問題などをうかがった。
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主体的な市民の力になれる弁護士でありたい
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──籠橋さんは、「自然の権利」訴訟を手がけられていて、環境派弁護士のイメージが強いのですが、小さな頃から自然への関心は高かったのですか。
育ったのは名古屋東部の団地です。水田地帯を改良工事してできた団地なんですが、まだ多少ため池や樹などの自然が残っていて、昆虫採集に夢中になった覚えがあります。小学生の頃はハンミョウやトノサマバッタなどもいたんですよ。親からカメラを買ってもらって、植物や昆虫を撮影して喜んでいた。自然への興味は高かったですね。もっとも、昆虫採集といっても、ホルマリン漬けにするわけでもなく、獲ってきて放り出していましたけれどね(笑)。
ただ、そんな自然も私が成長するにしたがって、周辺から消えていきました。私が育った時代は、ちょうど日本が経済成長に入り大きな変貌を遂げた時代で、都市部の自然も宅地などにどんどん変わっていったんです。私が住んでいた団地も、自然を壊して造成されたものだったけれど、そういう団地がどんどん増えていき、同じような団地の建物が続いていく味気ない風景に変わっていきました。
──昆虫採集に夢中になっていたのでしたら、将来は生物学者になりたかったとか……。
いえ、中学生の頃までは、別にこれといってなりたいものはなかったんです。ただ、高校に入る頃から、宇宙とか物理学など、科学に興味が出てきました。「物の本質」とはなにかとか勉強するのが楽しかった。けれども、科学という学問は才能が必要だと思ったことと、社会問題への関心も高かったことから、大学進学は法学部に決めました。
とはいっても、入学当初は弁護士になるつもりはまるでなかったんです。サッカー部に入ったのですが、退部して挫折感を味わったり、まあ、平凡な学生生活を送っていましたね。就職するとき、ビジネスマンになるよりは自由な立場でいたいという思いがあって、弁護士になろうと司法試験にチャレンジしたわけです。
──どんな弁護士になりたかったのですか。
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| 「名古屋E&J法律事務所」会報。E&JはEcology & Justice「環境と正義」の頭文字。 |
弁護士になったからには、社会正義を貫きたいという思いはありましたね。大学時代から組織されない主体的な市民に強い共感を持っていたので、そういう人たちのために力になれたり、いっしょに社会運動ができればいいなと考えていました。
私が弁護士になったときにバブル経済が始まった時期で、京都を舞台にして地上げが行われ、歴史的景観保存の問題などが持ち上がったんです。そして、大文字焼きで有名な大文字山の裏にゴルフ場を建設するという話があり、これを阻止しようという人たちが訴訟を起こし、私がその弁護を担当することになりました。ゴルフ場問題というのは法律的に非常に難しく、反対運動をしてもなかなか勝訴することができないものなんです。ところが、いろいろな条件が重なって、この裁判に勝つことができた。
ゴルフ場の裁判に勝つなんて珍しいというので、全国各地から講演の依頼が舞い込みだし、私の活動範囲が広がっていったんです。今から考えてみると、この当時はまだ環境問題の本質的なことはあまり考えず、乱開発を阻止しよう、農薬はいけないといったことで反対していたんですね。でも、私にとっては、活動の範囲が広がったことで、里山保存問題などの環境問題に関係していくきっかけになったんです。
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