漁況予測をするためには館山だけを見ていては分からない。平本さんは館山から銚子までの九十九里の海岸160kmを、月に何度も往復することになる。最初は重いクーラーボックスをかついで鉄道で、その後自動車で通うのだが、いつの間にか砂浜に階段式の斜路ができたり、離岸堤や突堤など海岸がコンクリートで覆われていくことに気づくことになる。
──千葉の浜の移り変わりを目にしてこられた40年でもあったわけですね。
九十九里は日本で2番目に長い砂浜で、以前は最大で幅100m近い広大な砂浜が広がっていたのに、ここ数十年で急速に海岸が浸食されて砂浜がなくなりつつあります。これではいけないと、テトラポッドを置いたり、離岸堤を設けたりしていますが、全般に砂の供給が減り、また予想もしないところに砂が堆積したりして、沿岸漁場はいたるところで悪くなっています。以前は白砂青松の浜にアカウミガメが産卵に来たのに、浜にたどりつけなくなった場所もあります。
千葉に限りません。日本全国あちこちで、重工業を重視して沿岸漁業を切り捨て、内海はもとより外海まで埋め立てて臨海港湾を建設することで、干潟や砂浜をけずってきた。その結果、沿岸漁業が衰退し、海を日常的に見る人が減って、ますます海岸が荒れてきたわけです。高度成長以来のツケが、いままわってきているんじゃないでしょうか。
──千葉の海と漁業を考える会を立ち上げられたのは?
私は海のことや浜の暮らしについて一番よく知っているのは漁業者だと思っています。そこで漁業者の視点から、海をどう守っていくかを考えたい。浜おこしの応援団になろうと思ったのです。たとえば、人工リーフを建設するかどうかを検討する集まりで、それに反対する漁師さんは、「ここを埋め立てるとこちらに砂がたまる。この場所は魚がエサを食べにこう入ってくる」と実によく海流や魚の生態を知っている。大学の先生や研究者なんて、足もとにもおよびません。そんな漁師の知恵を、海岸保全に生かしていきたい。
──漁師の知恵といえば、以前、『大船頭の銚子イワシ話』という聞き書きをまとめられましたね。
銚子や波崎の船頭たちから「治郎吉の大船頭」と慕われた鈴木正次さん(ことし86歳)の話をまとめたものです。北部太平洋海区きっての名船頭として40年間ならした人で、肌でイワシの習性を知っていました。彼から伝授されたイワシや海の深い知恵は、イワシを研究する上で血肉になったように思います。
──いま、沿岸漁業は元気なんでしょうか?
いま漁業に従事しているのは日本全国でわずかに26万人。しかも毎年数千人単位で減り続けています。漁業の食料自給率も2年前のデータで51%にまで落ち込んでしまった。考えてみれば戦前と1980年代とイワシの豊漁は二度ありましたが、1980年代の豊漁でお大尽になった人はいません。一次産業の地位が低くなって、イワシの価値もすっかり下落してしまったのです。戦前は、あらゆる工業にイワシの油が使われて、肥料としても活躍したけれど、現在は家畜や養殖魚の餌や食料以外の用途はありません。今後たとえばイワシを食べたらアルツハイマーにならない、といった食料以外の価値が出てこないと、この先マイワシが20〜30年後に再び豊漁になっても、漁業に活気は出てこないでしょう。
養殖漁業は儲からないとやりませんから、不景気のいまは低調ですし、栽培漁業をもり立てようと高級魚の稚魚を育てて大きくなってから海に放しても、生態系にも問題だし、資源回復にはならない。結局、沿岸漁業が成り立つような自然環境を守っていくことが一番の近道です。消費者も、どこの魚だって切り身なら一緒という考え方をやめて、魚も誰がどこでとったものか、身土不二(体と土は一つだという考え。つまり、自分の住む土地でとれた旬のものを食べる)を基本にすれば、一次産業は安定するんでしょうが……。
──沿岸漁業を守れ!のかけ声だけでは、一般の人の関心もなかなか高まらない。
そこで、「正論」も大切だけど、「食い気」で釣ろうと、このあたりの浜でとれるいろいろな魚介類を使った浜のおかずを掘り起こして新聞の連載やイベントなどで紹介しているんです。「ハコフグ」は内臓をとってさんが焼きにするとおいしいとか、「アメフラシ」は味が淡泊で、アワビとまではいかないけど、シコシコしているとか、「ゴンズイ」は味噌汁の具にピッタリだとか。イソギンチャクを食べる料理が富津にあるというので、こんどチャレンジしてみようと思ってるんです。食い気で誘って、海に興味をもってもらおうというわけです。
──食べられるかどうかって、いろいろな生き物が暮らしていることに気づく第一歩ですね。
私たちは、自然保護イコール目に付きやすい美しいもの、あるいは希少なものと思っているふしがありますが、私は身のまわりにごくふつうに見える風物や生き物と日常的にふれあうことがもっと大切だと考えています。先頭に立って旗を振るのは好きじゃないので、一市民として少しでも海やイワシなど身近な魚に興味を持ってもらえるお手伝いができたらいいですね。
| 埼玉県で育った。小学校5年生のときに修学旅行で初めて海を見て感激。船乗りになろうと北大へ進んだものの、船酔いするのと、北杜夫の『どくとるマンボウ航海記』を読んで、今の道に進むことになったという。館山市にあるご自宅の書斎からは海が見える。この海を漁師とともに守っていきたい。そのために漁業者同士、行政や他産業との調整などのコーディネーター的な役割が果たせたら、と静かに語ってくださった。 |
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| 玄関先にタカアシガニの魔よけが置かれていた。 |
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