![]() 第48回 自分なりの持続可能なライフスタイルを
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「抗議」ではなく、 オルタナディブな生き方の「提案」へ。 シンプルでエコロジーに生きる 喜びを伝えたい。シンガ−・ソングライター、環境活動家。スウェーデンに生まれ、オーストラリアに育つ。10代より環境・反核活動家として、オーストラリア、マレーシア、日本などを中心に活躍。「ディープエコロジー」哲学にもとづく環境教育の実践でも知られる。1999年日本の仲間たちと環境文化NGO「ナマケモノ倶楽部」を結成、以来その世話人をつとめる。現在はエクアドルを拠点に、夫の環境活動家マルセロ・ルーケとともに、生態系の保全と持続可能な地域づくりに取り組んでいる。2001年春長女パチャ、2003年夏長男ヤニを出産。CDに『Voices
for the Forest』、『Pacha Mama』、『Slow Mother Love』がある。
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日本は持続可能な社会へ大変革する能力に恵まれた国
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環境文化NGO「ナマケモノ倶楽部」の世話人の一人で、現在エクアドルを拠点に活動しているシンガー・ソングライターのアンニャ・ライトさんが、この3月、3枚目のCD『Slow Mother Love』発売を機に来日、首都圏を中心にライブコンサートを行った。社会を変革していくには、ピースパレードに参加したり、戦争反対の嘆願書に署名するといったアクションも大切だけれど、まず、一人ひとりがライフスタイルを見つめ直し、多忙な消費社会からスローダウンし、喜びとやすらぎに満ちた人生を送っていこうと呼びかける。 ──アンニャさんはディープエコロジストで、熱帯林を守る活動や反核のための抗議行動などでも知られています。「環境活動家」というと、日本では何かに反対して、プロテストする人というイメージが強く、おっかない人ではと思っていたんですが(笑)。 「ディープエコロジー」と、「エクストリームエコロジー」を混同しないで。ディープエコロジーというのは、私たちが地球の一部だという認識のもとに、自然とともに生きることをめざすもの。憎しみからではなく、地球上のありとあらゆるものに対する愛情がベースになっているわけ。つまり、テロリズムの対極にある考え方なんです。 ──ディープエコロジーに関心を持ったのはいつごろですか? オーストラリアの自然に魅せられて、一家でスウェーデンからオーストラリアのゴールドコーストに移住したのが3歳のとき。両親からは、いわれもなく自然の葉っぱをちぎってはいけない、花も葉も人間の存在とはかかわりなく生きているのだからと、自然に畏敬の念をもって接するようにとしつけられました。18歳のときバックパッカーとして世界各国を旅行したのですが、初めて訪れたマレーシアのボルネオ島サラワク州で、すさまじい森林伐採の現状を目にしました。ちょうど第1回の国際熱帯雨林会議が開かれていて、オーストラリア代表のあとにくっついて会議に参加させてもらい、多くのことを学びました。なかでもディープエコロジー運動の中心的な存在だったジョン・シードに出会って、これこそ、私が求めていた考え方だ、と思ったんです。 ──そこで、オーストラリア熱帯雨林情報センター(RIC)のメンバーとして活動することになるんですね。人々に訴える方法を学ぼうと、大学で演劇を学んで、音楽やパントマイムで森林の重要性を訴えたり。そして、1989年に初めて来日なさった。 当時日本は世界有数の熱帯林の消費国でした。しかも、とてつもなくビジーでクレージーなライフスタイルを送っている。いったい日本人はそのことに気づいているんだろうか。日本の人々に自分たちのライフスタイルや消費のありかたが、環境破壊に密接に関係していることを知ってほしいと意気込んでいましたね。 ──その後、日本を活動の舞台にして、さまざまな環境保護活動を展開なさった。日本についての印象は変わりましたか? 自然がおそろしいスピードで破壊され、生命が衰退していくのを平然と受け入れているなんて…と、はじめはそのことが不思議でならなかった。でもつき合っていくうちに、古代から培われてきた自然と人々との結びつきが、今もみんなの心の奥底に息づいていることがよくわかりました。たしかにあふれんばかりの情報や、消費せよと駆り立てる広告の嵐のなかで、自然の声に耳を傾けようというメッセージは消されがちになってしまう。でも環境への関心は着実に広がっています。日本は持続可能な社会への大変革をもっとも必要とする社会であり、かつ、それができる能力に恵まれた社会だと思っています。 |
エクアドルは環境破壊の大洪水の中に浮かぶ「ノアの方舟」
環境活動を続けるうちに、次第に環境破壊の最大の原因は、私たちの生き方や文化だという思いを強くする。活動の方法も巨大な波に立ち向かうという姿勢から、次第に、持続的な未来のために何ができるか。一人ひとりが自分の生き方を問い直すために、どんな活動が有効かを探っていくスタイルへと変わっていく。 ──エクアドルで活動をはじめたのは、どんなきっかけからですか。
もともとRICは1990年代初頭からエクアドルの森林保全のプロジェクトを手がけていたんです。1997年に日本からのエコツアーを企画したんですが、翌年から拠点をエクアドルに移して、現地の人たちとともに、パーマカルチャーの実践やバイオガス開発、種子の保存などいくつものプロジェクトを展開することになりました。 ──プロジェクトは現地の人にも理解されているのでしょうか。
ガス代すら払えない貧困に苦しんでいる人たちに向かって、一方的に「木を伐ってはいけない」と主張しても説得力がありません。木を伐らなくてもすむ方法を提示することが大切です。たとえば家畜の糞や廃棄物を利用したバイオガスのような、シンプルで、資金がなくても簡単に真似ができるやり方を伝えています。巨大なODAなどのプロジェクトだと、お金をめぐって癒着やトラブル、競争が出てきてしまうので、プロジェクトは基本的に少ない予算で動かします。外からやってきた専門家だと思われてしまうと上下関係ができてしまう。だから、その土地に根ざした知恵や技術を活かしながら、私もいっしょになってシンプルな生活をしながら、生活の質を上げる方法を模索しています。私はグル(尊師)でも教師でもない。大勢のボランティアや現地の人たちといっしょに、持続可能な社会をめざしている生徒なんです。
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音楽は未来の希望を描くコミュニケーションのツール
1999年に、文化人類学者の辻信一さん、有機コーヒーのフェアトレードのビジネスを展開している中村隆市さんとともに「ナマケモノ倶楽部」を立ち上げ、ナマケモノをシンボルに、スローで平和なライフスタイルを提案する活動を続けている。その呼びかけが共感を持って広がっていく一方で、ニューヨークのテロやイラク戦争など、グローバリズムに対する反発・弊害はますます拡大し、社会はどんどん忙しくなっているように思える…。 ──スローへの共感・憧れを抱きつつも、現実はますます忙しくならざるをえない。このギャップをどう思いますか?
私も18歳のときから同じジレンマに直面してきました。経済システムはどんどん拡大しづづけ、忙しく回転している。このままでは未来がないと、だれもが分かっているし、それ以上に人々はちっとも楽しくない。そのことに皆が気づいていながら抜け出せないでいるんです。 ──スローに気づくためのファーストステップはどんなところに? たとえばラッシュにもまれたビジネスマンが、ふと空を見上げて、雲を見る。そして深呼吸して、世界と自分とのつながりを感じる。それが第一歩ではないかしら。 ──3月に発売になったCD『Slow Mother Love』に収録された最初の曲「Be Live Slow」がそのことを歌ったものでしたね。アンニャにとって、音楽はどんな意味を持っているんですか? コミュニケーションの手段であり、希望でしょうか。原生林伐採に反対するために、サラワクの先住民族ペナンとともにジャングルで暮らしたときも、歌うことでコミュニケーションできました。これまで2度逮捕されて拘留されたときも、デモに出かけたときも、いつもギターを抱えて歌っていました。音楽は本質的に非暴力のものだと思います。平和的な方法で未来を描いていくために欠かせない存在です。
──CDのタイトルは『Slow Mother Love』です。どんなメッセージが込められているのでしょう? 地球も大地も、いのちを生み出す母なる存在です。私たち人類にとって、いまいちばん必要なのは、「希望」だと思います。大地がどんなにダメージを受け、環境破壊のさなかにあっても、なお種は芽吹き、木は天高く伸びようとする。大地は「生き続けよ」と主張しているんです。それと同じように、絶望や困難のなかから、なお新しいいのちが生まれてきます。子どもたちに対して、地球に対して、私たちは希望をもって生き続ける責任があるのです。 マハトマ・ガンディーに、「もし社会の変革を望むなら、まず、あなた自身が変わらなくてはならない」という言葉がある。一人ひとりが自分たちの心の中に、ハッピーでシンプルで平和でエコロジカルに生きる方法を、我が子をいつくしむように育てていってほしい。そう語るアンニャさんだ。 (update:2004.3.25 text:TAKAGI Sachiko)
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