第二部何のためのリサイクル
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武田 邦彦
芝浦工業大学
材料工学科教授
プロフィール
1943年東京生まれ。東京大学基礎科学科卒業後、旭化成工業入社。ウラン濃縮研究所所長などを経て、94年より現職。資源分離工学専攻。主著に「有機材料」「分離のしくみ」「現代化学展望」「プラスチック材料工学」。
今年1月に「リサイクルしてはいけない」(青春出版社)を出版、話題を呼んだ。工学博士。 |
発言要旨
「リサイクル増幅係数」が100を切るのはごくわずかで、大部分はリサイクルによってかえって環境負荷が高くなっている。ペットボトルはその典型だ。
また、持続型社会をめざすなら、「持続性資源」である森林を活用する必要があるが、紙のリサイクルは、"木"という「持続性資源」をリサイクルするために、石油などの「枯渇性資源」を使っており本末転倒だ。
消費者はリサイクルをいいことだと勘違いしているが、リサイクルの背後の膨大なムダについて知るべきである。 |
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──「リサイクルしてはいけない」という、いささかセンセーショナルなタイトルの本が話題を集めていますね。 |
私があの本でいいたかったことはリサイクルの是非を、きちんと考えてみようということです。いまのリサイクルには、あまりにもウソ・矛盾が多い。
まず、私の専門の分離工学からみた矛盾があります。分離工学の鉄則は、「物質を取り出すための労力は、取り出すものの濃度に比例する」。つまり、薄く散らばったものは使えない。
私たちが使っているのは、石油にせよ鉄鉱石にせよ、自然があらかじめ集めてくれたものだけです。海の水を天日製塩して塩をとるのは唯一の例外で、それも岩塩があれば、そちらを使う。
製品を販売するということは、薄く散らばすということですから、それをまたリサイクルするには、回収だけで製品をつくる労力の20〜100倍はかかる。
また、材料工学から見た矛盾もあります。使ったものは劣化する。繊維がいい例です。極端な例を挙げますと、おばあさんの皮膚は赤ちゃんには使えない。使ったものを元に戻せるのは鉄と銅ぐらいなのです。
ですから、リサイクルしようと思ったら、使う前に捨てなければならないということになる。すなわち、リサイクルしようと思ったら、売ってはいけないし、買ったらすぐに捨てなければならない。
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──リサイクルは、そういった矛盾を秘めている、と。 |
もともと、製品の材料はほとんどが複合材料です。たとえばテレビキャビネットは、対衝撃性を増大させるためにゴムを配合し、難燃性を付与するために難燃剤を混練します。このような材料は、なかなか劣化しにくいかわりに、再び混練できないのです。
無理やりリサイクルしても、品質が落ちるため、多少性能が低くてもよい下位の製品に回すことになりますが、下位の製品は量が少ないので、結局リサイクルしても使えるものがない。
鉄鉱スラグなどは、路盤材にしかなりませんから、本来なら土のままにしておけばいいところに、わざわざ敷きつめることになるわけです。
リサイクルの最大の問題は、リサイクルすることによって、かえって資源エネルギーや社会的エネルギー、コストをよぶんに使ってしまうということです。
ペットボトルが、石油からつくられるときのコストは約7.4円なのに、リサイクルするには輸送費などの集荷にまず26円かかります。それを洗浄、樹脂化、再成形するには1円程度しかかかりませんが、しめて27.4円にもなる。新品ボトルの3倍以上です。
しかも、輸送の間に、トラックの運転手がお弁当を食べれば、それもゴミになる。かえってゴミが増えてしまう。
また、紙をリサイクルするときは、古紙をトラックで回収し、分別後、脱墨して漂白という過程を経るわけですが、このプロセスで石油などの「枯渇性資源」を大量に使います。
私たちが使っている資源やエネルギーには2種類あります。ひとつは、石油や石炭、鉄鉱石などの、地球が何億年もかけて蓄えた「遺産組」。もうひとつは太陽光で育つ木や水力発電などの「持続性資源」である「月給組」。
「月給組」をリサイクルするために、貴重な遺産を食いつぶしているわけです。
よく熱帯雨林の保護のために紙をリサイクルなければならないといいますが、現在製紙に使用されているのは先進国の森林で、この15年で3%ほど増加しています。
森林破壊が深刻なのは発展途上国ですが、この原因は、現地で薪として使ったり焼き畑農業によるもの。紙はそのまま燃やしてしまった方が、はるかに「持続的」なのです。
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──熱帯雨林の保護のために紙のリサイクルが必要だと勘違いしている人は、あまりいないように思いますが。 |
自然の熱帯雨林は紙にはもともと使っていないのです。このように、リサイクルにはあまりにもウソが多いということです。リサイクル率にもウソがある。
たとえば、まず焼却をリサイクルと呼ぶ。そしてリサイクル率を上げ、これだけリサイクルしているから、メーカーは社会的な責任を果たしているという顔をする。消費者は、リサイクルできればいいと、節約に気を配らないでかえってムダづかいする。
リサイクルして環境にいいことをしていると思っているけれど、実はずっと環境に悪いのに、そのことに気づかないのです。
私は、リサイクルがどの程度環境に負荷を与えるかを調べるために「リサイクル増幅係数」という独自の指標をつくったのですが、一回で使い捨てる場合の環境負荷を100とした場合、ペットボトルで370にもなります。
リサイクル増幅係数が100を切るものは鉄や銅線ぐらいしかない。リサイクルの優等生とされるアルミですら100を越える。世の中のほとんどのものは、リサイクルすると環境負荷が高くなる。
たしかに「もったいない」と思う気持ちは大切です。でも、本当にもったいないのは、目に見える空のペットボトルではなく、リサイクルに付随する、輸送・分別の労力であり、再生に必要な資源やエネルギーなのです。
消費者はこの「リサイクルの背後霊」を注視しなければなりません。 |
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──「遺産組」が大切であるということであれば、環境負荷についても、バージン資源を使うのと、リサイクルする場合で、トータルでどちらが「遺産組」を多く使うのか、遺産組だけで計算すべきではありませんか? あるいはLCAで比較するとか。
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LCAに人件費を入れるか入れないかというのは、研究者によっても意見が分かれるところです。人間をどう見るかの違いで、人間はどのみち環境に負荷を与えているのだからゼロとカウントしていいという考え方と、
貴重な存在だからコストを考えるべきだという意見と。
でも、ペットボトルを飲んだ人が、ペットボトルをリサイクル工場まで運んで、自分でまたペットボトルを作るという極端な例を考えると、人件費を計算に入れなければ、その間の環境負荷はゼロになってしまうんですよ。
一方で、すべてオートメ化されて、各家庭からパイプで集めることができるというケースを想定すると、逆にエネルギーや設備費が膨大になる。
家庭にはヒマな人がいて、ただで分別して運んでくれるという前提で議論を進めると、現実から遊離してしまう。計算のための計算になってしまいます。
LCAというと非常に科学的な感じがしますが、これまでもやっていた積算法をそう読んでいるだけなんですね。LCAで問題なのは、計算で使う数字が標準化されていないこと。
また、メーカーがちゃんとした数字を教えてくれないから、あてずっぽうで計算することになりますが、どんなデータを入れるかで結果は変わってしまいます。しかも、どんなデータを使ったかは公表されていない。
第三者が検証できないものは、科学的とは判断できません。
──消費者は、リサイクルさえすれば、自分の役割は果たしたと信じ込んでしまう、リサイクルは免罪符ではないというご指摘は大切だと思います。
ただ、燃やしてしまったほうがいいということですと、大量生産、大量消費、大量廃棄→大量焼却と、先生の意向とは別に、逆に消費が増えてしまうのではないでしょうか。
ほとんどのリサイクルが環境に悪い。「いいことをしたい」という人間の願望と、現実とは違うということをしっかり理解してもらうほうが、消費の抑制につながるのではないでしょうか。
燃やすことで、ゴミの体積は25分の1に減ります。ダイオキシンなどの有害物質が発生しないような最新の対策を施した炉で焼却し、焼却灰は「人工鉱山」として、将来の資源枯渇に備えるのがいい。
私の論は、あるいは極論に聞こえるかもしれません。しかし、リサイクルがいいことであるという「錯覚」や、もったいない、なんとかしたいという「願望」だけでは、持続可能な社会をつくることはできません。
「法律で決まっているから」リサイクルするというのではなしに、リサイクルの是非を冷静に論議することから出発すべきだと考えます。それこそが専門家の責任なんですよ。
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