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あじにいくらにあなごと甘えビ、ついでにたまごと中とろね。
今やお寿司は世界的に日本の伝統食の顔として君臨している。しかしこの「にぎり寿司」、日本国内でポピュラーな食として定着したのは、おどろくなかれ1923年の関東大震災以降と言われ、意外と新しい食のスタイルなのである。
そもそも寿司のルーツと言うと、紀元前4世紀ころ、発祥は東南アジアと言われている。米の中に塩をまぶした魚を漬けて発酵させた保存食としての意味合いの深いものだったようだ。この寿司を「なれずし」と言い、ある程度日数のたったところで魚を取り出し、魚だけを食べて、米は捨てていたと言われている。
日本に伝わってきたのが、平安時代。そして室町時代になるとお米好きの日本人は、魚だけでなく、ご飯もいっしょに食べる「生成ずし」と言う日本独自のスタイルをうみだし、保存食から料理へと歩みだしたのだ。そして1600年ころになると、各地の特色を反映したいわゆる「押しずし」が主流となり、大津の「ふな寿司」、富山の「マス寿司」、岐阜の「アユ寿司」などが誕生してゆくのである。
その後、当初、ご飯は発酵を促進させる手段であり、貯蔵を目的としていた「お寿司」のあり方から、江戸時代になるとご飯そのものをおいしく食べる「早ずし」へとそのスタイルを変えていった。発酵を待たず、その代わりとしてご飯に「お酢」を混ぜ、魚だけでなく野菜や乾物などを使う、まさに現代の寿司の原型がうまれたのである。
さらに、江戸時代も後期にさしかかった文化文政のころ、ひとりの男が当時の寿司よりも、もっと簡単に作ることができ、気軽に味わえる寿司として「にぎり寿司」を考案したのである。
その名を「華屋與兵衛」と言う。江戸前、すなわち東京湾でとれる魚介や海苔を使ったことから「江戸前寿司」とも呼ばれ、岡持にて売り歩いたのがすし屋のはじまりと言われ、一大ブームを巻き起こしたと言う。
そして1923年の関東大震災により被災した東京の寿司職人がふるさとに帰って、その地で開業していった結果、日本全国にこの江戸前にぎりが拡がっていったのは何とも皮肉である。
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