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| 「杉樽三年熟成しょうゆ」と「丸中醤油」 |
醤油の発祥の地は紀州の湯浅と言われています。時は鎌倉時代。当時は醤油と味噌の区分けが曖昧だったようです。1254年中国から怪山寺(金山寺)みその製法が伝えられました。紀州の湯浅の村人にその製法を教えるうちに桶の底に分離したものや、桶の上部に溜まった上澄みをとってたまたま使ったのが実にうまかった。こんな流れが醤油の元になったと考えられている調味料「たまり」なのです。
醤油の醤の由来は、古代中国で生まれた「醤(ジャン)」からと言われています。古代の人々は食物を塩につけて保存するうちに発酵、熟成して旨みを醸し出すことを発見しました。当時、鹿やうさぎ、鳥や魚などの肉を材料にした肉醤や魚醤(のちの塩辛)が主流で、その後果物や野菜、海草などを原料にした草醤(のちの漬け物)。穀物類を材料につくられた穀醤(のちの味噌や醤油)などとバラエティーに富んだ調味料が次々と出現したのです。平安時代には塩、酒、お酢、そして醤が四種器と呼ばれていました。役人の給料の一部として醤が支給されていたとのことですから、貴重な調味料だったことが伺えます。
江戸時代になると醤油は各地で工業的に生産され、売られるようになってきましたが、はじめは上方のものが品質も高く幅をきかせていました。上方醤油は何と米の価格の3倍もの価格で売買され、堺、大坂から船で大量に江戸まで送られていたようです。そのころは、醤油をはじめ、清酒や生活用品に至るまで上方の優れた産物が江戸に送られていました。それらは、「下り醤油」、「下り酒」などと呼ばれ珍重されていたのです。反対に品質の悪い産物は下ることができなかったのです。つまらないものを「くだらない」というようになったのはこの時代の名残りなのだそうです。中期になると関東でも品質の高い醤油が生産されるようになり、今日の濃口醤油に近いものになったと言われています。そんな時代の流れの中で上方の下り醤油は影をひそめ、やがて駆逐されていきました。
醤油の原材料は?
さて、表題にもあるように、醤油の原材料は意外と知られていません。答えは、麦、大豆、塩、水、そして麹菌です。関東人好みの濃口醤油は大豆と小麦の割合が1:1です。主に大豆は旨みと色をつける役割で、小麦は香りをつける役割をしています。また薄口醤油は濃口醤油に比べて塩分濃度が高くなっています。薄口のほうが塩分が少ないのでは?と思っていた方もいらっしゃるのではないでしょうか。薄口、濃口は、塩分の薄味、濃味の意味ではなく、色が薄いか濃いかの違いなのです。
いい醤油を選ぶポイントは?
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| 手作り天然醤油麹「蔵つぼみ」
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まず、大切なのが醸造期間です。醸造のありかたは、一年以上自然に熟成させる天然醸造と、加温して数週間から数ヶ月で人為的に熟成を早める速譲とがあります。もし、原材料にこだわっていても速譲の醤油だとしたら発酵の意味が台無しになってしまいます。よく本醸造という文字を目にしますが、この言葉にははっきりとした定義がなく、速譲のものでもどんな添加物が入っていても使われていますのでこの「本」ということばに惑わされないようにしてください。醤油は、素材の良し悪し、麹菌などの発酵菌が働きやすい杉樽のような容器かホーローなどの容器か、そして時間をどれくらい費やしているかでそのグレードは決まります。更に、醤油づくりの主役である麹菌などの発酵菌そのものが、天然菌か化学培養菌かという問題も見逃せません。しかし残念ながら昔ながらの天然菌によって醸しだされる醤油は今となっては過去の遺物となっているのが実情です。もし、未だに時代の流れに逆らって本来の天然菌による醤油づくりをされている醤油屋さんがあったら是非教えていただきたいです。その蔵はこの日本にとって最も貴重な醤油蔵でしょう。
手前みそならぬ手前しょうゆ
滋賀県のある静かな街道沿いに決してきれいとはいえない、知る人ぞ知る「丸中醤油」があります。きれいとは言えない蔵だからこそ本物の醤油ができるのです。悠久の月日を感じさせる杉樽、オーガニックの原料、きわめつけは出荷されるまで三年という長期熟成。本物志向の人がうなずく訳です。その蔵で自宅で仕込める醤油キットを特別に作っていただきました。素材は丸中醤油の天然蔵付き麹に無肥料無農薬の大豆と小麦、中国内モンゴル地区の自然湖塩と、私たちの出来うる最高の素材を使いました。あとは、ご家庭で水を加えて混ぜるだけ。すると一年から三年でその家ならではの手前しょうゆのできあがりです。仕込んでから6ヶ月もすると香ばしい香りがたちこめ、我慢しきれずに舐めてみると何ともおいしい「もろみ」になっている。そのおいしさに醤油になる前にもろみとして食べてしまったといエピソードも一人や二人ではありません。私の家の醤油キットは仕込んで一年半になろうとしています。もう十分に醤油として出来上がっているのですが、あと半年、もう1度夏を越して絞ろうと考えています。「食べるのがもったいない」なんて思ってしまうほど愛着がわくのは自分だけでしょうか?
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