遠藤さん写真 text by 遠藤昇
遠藤昇のスローグッズ興奮図鑑

一生物の定義「道具の言葉を聞き入れたどりついた1本のナイフ」

 今年の夏は野外好きの僕としては、何か消化不良。キャンプ道具の手入れでお茶を濁すような状態。で、刃物の手入れをしていると9年前の出来事を思い出した。

 1997年8月5日、その日はまるで砂漠の中の湖を漕いでいるようだった。午前10時を過ぎると、気温はぐんぐんと高くなり、陽光がやや赤みを帯びてくる20時を過ぎても、湖面を反射する日射しは衰えず熱せられた大気は乾燥し素肌を焦がす。北極圏の夏の日射しは尋常ではない。日本からポートランド、フェアバンクを経由し、ユーコン川を見下ろしながらべトルスという小さな町に立ち寄る。そこからさらに着水用のフロートつけたセスナに乗り換え、ウォーカーレイクという湖に降ろしてもらう。日本からここまで最速の交通手段を利用してもゆうに50時間以上費やしている。

 カヤックやキャンピング道具、そして食料などの装備を下ろし、ブッシュパイロットが湖面を滑るように離陸してしまうと、風と波の打ち寄せる音だけが響き、人の言葉は風景のなかに吸い込まれてしまう。紛れもなくここは一級の原野。地図には"Gate of the Arctic Wilderness"「北極圏、荒野の入り口」と記されている。

 フェアバンクスから北北西に700キロほど行ったブルックス山脈の西端に位置する湖がウォーカーレイク。アラスカスペシャリストとも言える友人のガイド、真下薫之氏に連れられ、このウォーカーレイクから流れ出るコバック川を9日間かけ400キロほどカヤックで下る。まさに原野アラスカのなかのもっとも原野を旅するわけだ。

 初日、熱射の湖を縦断した。距離はせいぜい30キロほどなのだが、荷物を満載したフォールディングカヤックで向かい風の中を漕ぐわけだから、時速で2〜3キロがやっと。それでも僕らはまだいい。ガイドの真下氏は荷物を満載した自分のカヤックのほかに、共同装備を満載した荷物用のカヤックを引っ張っている。休憩はほとんどなく、10時間以上もの間、顔色ひとつ変えず延々と漕ぎ続けている。そしてようやくコバック川のアウトレットにたどり着いたのは、陽射しが少し西に傾きかけた21時。カヤックを岸に着けると真下氏は太ももにライフルとホルスターをつけ、ブッシュナイフのような鉈を手にし、湖畔に茂るブッシュの中に入っていく。バサッ、バサッっと木立を切り裂く音、そして「熊の形跡はないね。ここは安心。すぐ飯にしよう」とブッシュの中から声が響く。真下氏は食事を終え焚き火の前で一息つくと、鉈ともブッシュナイフとも言える刃物を手にして、語りだした。

打ち刃物の鉈
秋田・角館町の桧木内川にかかる岩瀬橋の民具雑貨屋で売られていた打ち刃物の鉈。価格は5000円ほど。包丁のようにも使え、大きな魚なども上手にさばける。この手の鉈は森の必需品。

 「この刃物は秋田のマタギたちが使っているナガサを原型に自分で作ったオリジナルの鉈ナイフなんです。こういった旅の時には装備も限られるので、食事を作る、薪を割る、自分を護るといったことのすべてをまかなえる刃物が必要なんです。」と真下氏は言う。

 今までにたくさんの刃物を使ってきた。しかし、どれも自分の旅にはしっくりとこない。そこで、10年前に山形の打ち刃物屋に修行したとき刃先の形状やサイズ、鋼材を選び自分で納得のいく鉈ナイフを作ったのだという。それ以後、こういったウィルダネスの旅で欠かせないアイテムになっているというより、それ1本でも十分サバイバルできるという。 「刃物選びは鋼材が基本だと思う。北の植物は柔らかいので、柔らかい物を切るにはステンレスのような硬い鋼材ではなく、打ち刃物に使うハガネのほうが使いやすい。逆に南方の方に行くと硬い植物が多いので、硬くて薄い刃物を叩くように使う。僕は北方の旅が多いので、ハガネのような柔らかい鋼材が適しているんです。」

 ハガネは自分でも研ぎやすく、切れ味を損なうことがない。しかも、刃先が欠けたりするなどで研ぎ直しを行うたびに自分の身体に馴染んでくる。まさに使うたびに刃物に命が授かるというわけだ。そんな道具こそ、常に自分の身に携えていたい物だという。 「最近は大きなディスカウントストアなどでもアウトドア用品がたくさん売っているけど、便利そうでいて案外使えない物が多いね。その理由は壊れたら直せないものや手入れができない物が多いから。手入れをしたり、壊れたら直した分だけアウトドアでのスキルはあがるんです。」と真下氏は言う。

 アラスカでのリバーツーリングを主に、カナダ、時にはシベリアや中央アジアといった辺境地をガイドする日本の第一人者が真下薫之氏。20代のころはスキーやハンググライダーのインストラクターを生業としていた彼は、仕事の合間を縫って冒険的でワイルドな旅を楽しんでいた。初めてアラスカを訪れた1973年以来、日本とはまた違うスケールの大きな手付かずの原野の中で、アラスカは何にも束縛されない自由な開放感とともに、彼に本当の自然とは何か、本当に使える道具とは何かを伝えてくれたという。その後20年以上経ちアラスカ・スペシャリストガイドとしての今のポジションを確立した今でも、アラスカは人が営むことの原点を学ばせてくれるという。

 「僕のツアーは結構、放任ツアーなんです。全体のチームワークを壊さない範囲であればまったく何も言わないし指示もしない。危険なときや本当に困っていない限り知らん顔を通します。その理由はこの大地に何を求めにきているかは一人ひとり違うからなんです。」

それを読んで与えるのがガイドの仕事だという。道具も同じで、何かをするときは道具に任せるようにしている。道具はそれぞれの作り手が異なる様々なイメージから作られている。そのイメージを読んで、生きる場所で使ってあげる。そこで初めて機能するのだという。一生物の定義とは「物が語る部分をどう自分のなかで聞き入れるのか?」そこにあるのではないかと思う。

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