第12話 国民総幸福量(Gross National Happiness):経済的に、精神的に豊かであるということ
【レポート】上田 晶子
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民族衣装の「ゴ」を着て、「クル」というダーツに似たスポーツを楽しむ人々。
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ブータン人は、物質的な豊かさだけでは人は幸せになれないのだと、よく口にします。経済成長に伴って、家族中心の社会生活から、より個人主義的な生活を送るようになったり、大気や水質が汚染されたり、過剰な森林伐採が行われたり、ブータンの伝統文化を忘れて、西洋的なものにはしったりすることについて、ブータン人の多くはとても慎重です。
経済成長一辺倒にならないこのような政策には、仏教の教えの影響を見て取ることができます。ブータン人の多くが信奉しているチベット仏教は、金銭や物質的なものに対する欲望を克服するように説いています。これは、ブータン人全員が物質的な豊かさを否定しているということではありませんが、物質的な豊かさに執着することがマイナスの価値をもつ社会文化的背景があることも事実です。さらに、ブータン人は進歩とは、精神的な成長を伴うものでなくてはならないと言います。ブータン人は心の状態をよく見ている人々であると先のレポートでも書きましたが、精神的により成長した人になることは、チベット仏教の教えとあいまって、多くの人々が日常生活のなかで意識していることであると言えます。
幸せそうなお母さんと赤ちゃん。
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仏塔を背景に制服姿の女子学生。
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では、ブータン人にとって幸せとは何なのでしょうか。職場の同僚と昼食をしているときに、この国民総幸福量がよく話題にのぼります。「どんなに貧しい状況にあっても、自分の置かれている境遇に満足することが国民総幸福量に貢献することなのか。」「いやいや、そんなはずはない。運命論者になって、自分の置かれている状況に満足することだけが、国民総幸福量の精神であるはずはない。経済的にも文化的にも、バランスをとりながら、より高いところを目指そうとする精神がなければならない」などなど、議論は昼休みを越えても続きます。確かに、何が幸せかという質問は個人のレベルでも答えを出すのが難しい問いで、まして国レベルでの議論になるとある程度の最大公約数に到達するのがやっとかもしれません。
国民総幸福量という概念の大きな貢献は、人々に、特に政策にかかわる人々に、「幸福」について考えさせ、議論させるところにあるように思われます。そして、そこから出て来る政策は、国民総生産量の増大だけを目指した政策とは、必ず違うものになってくるはずなのです。ジクメ・ティンレイ内務大臣はあるスピーチの中で以下のように語っています。「国民総幸福量の概念は開発に対するバランスの取れた、最も包括的なアプローチを提示しています。幸福の追求は人類に共通のものであり、全ての人々にとってこれ以上の願いはないでしょう。ブータンと他の国々との間の唯一の違いは、他の国々ではそれが理想郷を追い求めることのように受け取られ、幸福の追求が見捨てられてしまっていることです。私たちはこれからも、人生には物質的な富よりももっと重要なものがあることを心に留めておきたいと思います」。人々の幸福の追求に最も適した環境作りを国家の政策の根本として位置づけ、手探りながらも邁進している国、ブータン。カナダ人の友人はブータンを「教養のあふれる発展途上国」と評しましたが、「教養のない先進国」もあるかなと、ふと考えてしまいます。
中央省庁と国の僧侶団が同居しているタシチョ・ゾン。
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※ここに示されている見解は、筆者個人のものであり、国連開発計画を代表するものではありません。
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